「表現芸術家ピアニストの生き様」掲載中

だからといって、日本音楽教育機関としては最高学術府である東京芸術大学以外で学べるところのあろうはずがないことを認識する昭子は、西洋音楽の本場、欧州への留学を夢想し始めるのであった。昨夜、同門の中村紘子氏のピアノリサイタルを聴くことによって膨らんだ疑問。今朝まで持ち越し引きずっていたその思いが、レッスン室に入ると緊張で払拭され、ピアノの前の椅子に腰かけている先生に丁寧な挨拶をかわす。「よろしくお願いします」先生は何気なく通常の所作で『心得てますよ』と優しく示され、「杉谷さん、今日は田園ソナタでしたね?」「はい」と素直に答える昭子。「楽譜、用意して・・・、すぐに始めますから」そのきびきびとした指示には、日本の音楽界を背負い多忙な日々の時を無駄にしない姿勢が滲み出ていた。
昭子は持参した鞄の中から早速楽譜を取り出し、先生はピアノの蓋を開け、立てた譜面台にそれを、昭子は恐縮の体で楽譜を開いて目的のページを。所定の椅子に腰かける2人。
すかさず「杉谷さん、まずは1回通して弾いて」と先生は半命令のように言った。
気を入れて弾き始めた昭子。トットットッ、トットットッ・・・、したたる雨だれ音のように左手3の指が低音のレ音を3拍子で弾きはじめる。
そのレ音の2オクターブ上の音域、大地を潤す命の水が万物の躍動を促し始めるかのように旋律化されたD7の和音を、昭子は弾き始める。

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