すると、昭子はオルガンの鳴り始め、その歌の歌い廻しに合わせ、頭をわずかに上げ下げ、
掌を自然にむすんでひらいて、と動作しはじめるのだった。
こうして始まったピアニストへの第一歩、物の好きは上手なれ、の言われのごとく、昭子にとってオルガンはなくてはならない遊び道具となり、のめり込んでゆくのだった。しかし、昭子が好きで、のめり込んでゆけてピアニストになれた、そんな甘いものでないことはいゆうまでもない。昭子の音楽好きは尋常になく、あらゆるラジオ音楽番組について母に聞き精通し、就寝前まで聴く、それをオルガンに置き換え弾こうとする。
そんな昭子に、母静子は言う「ねー、昭子、あんたがいろんな曲を聴き、オルガンに置き換え弾こうとする、その気持は分かるんだけど、やはりどなたか先生に付き、きちっと習ったほうが良いと思うの、そうすればいろんな曲も弾けるようになるし、そのほうがいいんじゃない?・・そうお母さんは思うんだけど、昭子、どうする?」
結果的に、通える音楽教室、服部楽器音楽教室、聖先生につく。
昭子がピアニストになり、あらためて顧みるに、聖先生はもの柔らかで優しく真面目なかたで、この近辺というより、界隈では名声を馳せる実力者でもあった。