田園のソナタ(4)

昭子はふたたび弾きはじめる。あの、こやみなくしたたる雨だれ音のように弾かれゆくレ音。本来このレ音に帰属する機能をどのように解釈するかによって演奏に違いが出てくるわけだが、どちらかといえば昭子のテンポは速めで、繰り返される音ははっきりしているが特に意味内容は汲み取れない。等間隔に弾きつづけるレ音は単なる伴奏のようであった。
「杉谷さん。」秋子先生は昭子の弾く手を遮り言う。
「この第一主題と緻密に登場してくる副次声部を強調するところ・・・、ここはモーツァルトのかの有名な《原線》のテノール声部をほのめかしているであろうことをはっきりと聞き取ることができる部分です。モーツァルトの《弦楽四重奏曲ト長調K387》のフーガ動機とか《ジュピター交響曲》の最終楽章にあらわれているところなの。こういった箇所の類似主題はベートーヴェン・モーツァルト両者において全小節的にあらわれているもので、とりわけこのように速いテンポなら、やすやすと表現できる類似物をなぜここにもたらしたのか。作品28との関係では『ははぁん、なるほど』という効果以上のものは望めないのですが・・・、そういった効果に対してはともかく、その他の曲などではしばしば望ましいとされる明晰性に対し、いっそう本質的なものが捧げられなくてはならないの。」
と秋子先生は『そうでしょ』とばかり昭子を見、諭す。さらに、「ニ長調ソナタの第一楽章は理性的な頭脳と充分に訓練された指をもってはじめて弾きこなすことができるよう、拵えあげられていることは一目瞭然ですが、ともすればうっかりそのことを見過ごしてしまうこともあるの。ベートーヴェンが、ピアノフォルテなる音響手段を徹底的に使いこなそうとした、そのような努力を見てもらおうとしているこの作品、ピアニストがモーツァルト風に分岐させたうえで生き生きとした気分でというよりも明快な首唱者気取りで考え抜いたすえに演奏するとなると、ときには動力的に動かされている瑣末な面ばかりが
浮かび上がってきてしまうことにもなりかねないこともあるの。しかし、またこういった個所には不動の美の祭典、あるいは健康な動力性とかを予感させてくれる以上のものが詰め込まれている、そういう事実をはっきりと考えさせてくれる所でもあるの。」

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