「表現芸術家ピアニストの生き様」掲載中

暖房が入っているとはいえ、コートを脱いで着席したものかどうか?結局、脱がないままに「すみません。」と着席している2人に礼を示す言葉がけをし、自席に着いた。開演までにはまだ少し時間がある。昭子は改札口で渡された数枚のチラシの中、今日の中村紘子ピアノリサイタルのチラシを取り上げ、自分より1歳年下の者が、ピアニストとして弾くその曲目に関心をいだく。『立派なプログラムだこと…』内心そう思いながら、噂でしか知らなかった彼女のプロフィールに改まった気持ちで目を通す。

 

プロフィール

1954年全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部で全国第1位入賞。

慶応義塾中等部に進み、1958年全日本学生音楽コンクールピアノ部門第1位入賞。・・・・

 

華々しい経歴である。ホール内への来場者が満ちるにつけ、ざわつきは増し、開演のベルと同時にいっせいに静けさが漂った。客席の明かりは落とされ、逆に舞台の照明がさっと明かるくなり、会場の人、みんなの気持ちは集中し、舞台袖からかすかな足音が聞こえたかと思うと、足音はぐんぐん大きくなり、昭子の気持ちも高まるのだった。

拍手は沸きあがり、中村紘子はさっそうと舞台に現れピアノに向かう。ちらっと客席に向き、わずかに頭を下げたかと思うと、征服者のごとくに姿勢を戻しピアノ椅子に腰かけた。かと思うと、つかの間の間を取ることも無く、一連の動作の流れの如しに弾き始めた。ハンドベルを振り鳴らすかのように始まった演奏。自分の演奏と同奏法。井口系のハイフィンガー奏法として納得はゆのだが、曲想に対し、音がガリガリして、音楽の流れにいささかぎこちなさを抱く昭子であった。それでも2曲目の悲愴ソナタ第1楽章では、曲想のせいもあってか、ゆったり歌わせ始まるところで、中村紘子もその歌いまわしから、幾分か音の棘が取れ、滑らかさがでてきて良くなった。が、謝肉祭では、またシューマンの気まぐれとせっかちな性格を示すかのように拍手の鳴り止まぬ中、演奏を開始。曲の緩急は激しく、起伏に富んだ荒っぽいといえば荒っぽい演奏で締めくくられる。

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