小説 田園のソナタ(5) 2021年3月29日 弾く手を止め、説明に聞き入っていた昭子は作品の内容の深さに改めて感嘆するのであった。再びピアノレッスンは始められる。 低音を、優しいスタッカートの連続伴奏形で弾き始め、中間楽節を挟み、可憐なリズムで始まる主題、ニ長調、中間部。 「杉谷さん、この低音、中間部の主題を踏襲し始まる後半楽節2部形式。オルゲルプンクトはこの作品...
小説 田園のソナタ(4) 2021年3月15日 昭子はふたたび弾きはじめる。あの、こやみなくしたたる雨だれ音のように弾かれゆくレ音。本来このレ音に帰属する機能をどのように解釈するかによって演奏に違いが出てくるわけだが、どちらかといえば昭子のテンポは速めで、繰り返される音ははっきりしているが特に意味内容は汲み取れない。等間隔に弾きつづけるレ音は単なる伴奏のようであった...
小説 田園のソナタ(3) 2021年3月1日 「この曲はベートーヴェンの抒情的な性格のあれこれが錯綜しているなか、旋律豊かで副次的声部に感情豊かなエピソードを冒頭楽章と最終楽章に満たしながら造られた曲なの」 昭子は楽譜を、秋子先生はその楽譜と彼女を見かわしながら説明を続ける。 「まずは冒頭から出てくる24小節のオルゲルプンクトをなすレ音、連続して弾き続けられるよう...
小説 田園のソナタ(2) 2021年2月1日 煙立つ霧、森は芽吹き始め、小鳥たちがさえずるかのような華やかなパッセージと第2主題の展開が交替する。そして、小結尾でさらに愛らしい新楽想が登場し、フォルテまで高潮し、急激にデクレッシェンドして提示部を弾き終えるのだが、昭子ははやる気持ちを抑え、流れるような対位がつけられた8分音符を弾きとおす。歌い過ぎず自然な流れを大切...
小説 田園のソナタ(1) 2021年1月18日 だからといって、日本音楽教育機関としては最高学術府である東京芸術大学以外で学べるところのあろうはずがないことを認識する昭子は、西洋音楽の本場、欧州への留学を夢想し始めるのであった。昨夜、同門の中村紘子氏のピアノリサイタルを聴くことによって膨らんだ疑問。今朝まで持ち越し引きずっていたその思いが、レッスン室に入ると緊張で払...
小説 ピアノ奏法と音色(5) 2020年12月28日 前半のバロック、古典、ロマン派というクラシック音楽のクラシックらしい様式感と異なる後半最初の曲、フォーレ:ワルツ・カプリース第1番Op30。昭子の抱く霧鐘の調べと違って、エネルギッシュで自信に満ち溢れた硬質な演奏、近現代の音楽様式の違い以上の違和感を抱く。 1967年4月17日(月)日本フィルハーモニー交響楽団第139...
お知らせ 年末年始休業日のお知らせ 2020年12月22日 平素は格別のお引立てを賜り、厚く御礼申し上げます。 弊社では誠に勝手ながら、以下の期間を年末年始の休業日とさせていただきます。 休業期間中、お客様には何かとご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。 2020年12月26日(土)〜2021年1月4日(月) ※2021年1月5日(火)より通常...
小説 ピアノ奏法と音色(4) 2020年12月14日 ピアニストという同じ道を目指そうとする昭子にとって、一考をもたらす演奏で前半は締めくくられた。中村紘子が舞台袖に下がり、拍手の鳴り止むのを待って、昭子は自席を立ち、ロビーへと向かう。 左右、前の通路からロビーに向けて集まり出ようとする人々。「Xさん、あなたも来てたん。」「あら」っと振り返ったX。「私ちょっとお手洗い。次...
小説 ピアノ奏法と音色(3) 2020年11月30日 暖房が入っているとはいえ、コートを脱いで着席したものかどうか?結局、脱がないままに「すみません。」と着席している2人に礼を示す言葉がけをし、自席に着いた。開演までにはまだ少し時間がある。昭子は改札口で渡された数枚のチラシの中、今日の中村紘子ピアノリサイタルのチラシを取り上げ、自分より1歳年下の者が、ピアニストとして弾く...
小説 ピアノ奏法と音色(2) 2020年11月16日 冬の日の入りは早く、夕方も6時となればあたりは暗く、公園の森をよぎり抜けるには危険がある、と不忍通りの遠回りをすることにした昭子。到着、文化会館の前には大勢の人だかりがあった。 公園通りに隔てられた上野駅から降り立ってくる人。その人たちに混じり昭子も入館する。 広いエントランスロビー。壁掛けに掛けられたピアノを弾く...