「表現芸術家ピアニストの生き様」掲載中

昭子にとって、楽譜は単なる音符の羅列ではなく、その秘められた内なる内容を自然にくみ取れる才能を備えていて、曲の中での調整の変化、和音の展開、その動きの中での内声の要となる動き、全体の流れの中でも特に重要視しなければならない箇所とそうでないところ、本能的に読み取れる才能を備えていた。しかし、小さな手に離れた音を出さねばならない難しさ、両手、指の使い方の工夫を「エリーゼのために」で行ったその指飛ばしでこなした服部せい先生との工夫。可能なあらゆることを駆使し、当日までの仕上げに臨んだ。

松江地区秋季文化祭。学習発表会から約1か月半の事であった。

地元からの要請により、学校は運動場と講堂の提供、その使用に応えていた。

母静子に連れられ、会場へと向かう昭子。

好きで弾きたかった曲とはいえ、難曲ではある。会場に近づくにつれ、せい先生と工夫し、なんとか弾けるようになった部分が今さらのように浮かび上がってくるのだった。

「昭子ちゃん。」

昭子が困惑顔で問いかけ、受けとめられたせい先生は立ち上がり、楽譜を指さし「あなたがここを譜面通りに指示されている指使いで弾こうとするのはもともと無理なことだと思うんよね。まずは自分の弾ける速さにテンポを落としてゆっくり、『親指のC´音とその一オクターブ上の c”音、それから、人差指と中指のAs音とF音、これをゆっくり確実に繰り返す練習。そしてだんだん本来のテンポに戻してゆく。』

それにしても難しいところね。ベートーベンって意地悪なところのある人だったらしくて、自分が弾けさえすればって、わざとこんな難しい音形と指使いを入れたんかもね。でもね昭子ちゃん、確かに作品に書かれている音符にはすべて作曲家の作品に対する考えがあって書かかれているわけで、勝手に音を変えたり、省いたりしてはならないけれど、誰からも演奏されない曲では意味のない作品ってことよね。そして多くの人に弾いてもらって聴いてもらってこそのもんって、と先生は思うんよね。高名な演奏家でも、部分的に音を抜いたり、変えたりして演奏してることはあるもんなんよね。要は奏者がどうしてもそうしたい、それが音楽的であれば差支えないと思うんよね。しかし、安易にしてはならないことなんよね。」

なるたけ楽譜に忠実に弾こうとした努力と苦労が蘇ってくるのだった。(何としてもそこをうまく弾きこなさなければならい。今日の鍵はそこにある。)ことを自覚する昭子であった。

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