合唱の伴奏 - その後(2)

創立明治6年6月6日万福寺という寺の一隅に新築された校舎、第19番中学区第10番松江小学校。その後、20年4月松江尋常小学校と改称され、大正15年3月松江村字宮西656番地字藪下652番地に校舎新築移転。昭和16年4月松江国民学校と改称される。そして22年4月、再度松江小学校と校名を戻す改称、学級数14、児童数686名の学校である。39年2月 県北臨海工業地帯に伴い、松江北4丁目1番1号に移転し、現在に至る。

当時、当校では道徳教育に重点が置かれ、昭和53年10月、全国小学校道徳研究発表会、第一会場校となるなど、道徳教育に比重が置かれ、その後現在までに十数回の道徳教育研究指定校とされ、その役割を担う。

24年4月和歌山道徳教育研究指定(24年~25年)県道徳教育総合支援事業協力候補指定とされる。

体制の指針とその中の個別事象に齟齬が起こることはあるもので、B子からの昭子へのいじめ、まさにそのことを示している、といえるのではないだろうか。

B子は単なる同級生ではなく、学級委員長というクラスの中では極めて重責を担う役柄の生徒であった。本来いじめがあるなら、その事について間に入り、調整をしなくてはならない立場(にある。)理由はどうあれ、なのに真逆をしているのであった。賢いB子わかっていないはずはあるまいに。

これまで体育や図画の自主・自由時間が与えられる授業であったなら、昭子も仲良しのA子を連れ出ち、共に行動をとれるはずであったのだが、一人スケッチ板を携え、室外に出る彼女。

校舎を背に広々と広がる運動場。その向こうには海を遮る松林があって、昭子はこの松林の上に広がる空をながめていると、今のもやもや気分が吸い込まれていくようで爽快な気分になるのだった。

『そうだ、この快感をこの景色になぞらえて描こう。』

天高く、初秋に燃ゆる陽の光。さんさんと降り注ぐ陽光。時折突風になびく松林。大地に佇む昭子。彼女は一人構想を練る。怒りと自省と忍耐、混然とした思いの核心を太陽になぞらえ、大地と松葉と樹木を三色の層にし円形をもたらす抽象画にして描き上げる。そのデッサンをしたためる。

 

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