「表現芸術家ピアニストの生き様」掲載中
まだ見ぬ愛娘への初顔合わせ、楽しみに帰航上の人となるのだが、彼は蚊に刺されマラリアに かかり帰国と同時に隔離病棟に匿われることとなる。胸膨らませ、しかしすぐには会えない不憫さ から、音楽好きな彼は自分の思いを託し、昭子にオルガンをプレゼントする。このことが後、彼女 をピアニストへと導く大きな要因となるのだが、ピアノを初め努力をすれば誰もがなれる。そんな甘 い世界でないことは言うまでもない。 どんなに幅広くアカデミックな知識を身に付けたにしても才能のない者には望めない世界である 。 母静子にとって目に入れても痛くない愛娘。それだけに文太夫の気遣いを我が身のことのように 喜ぶ。 しかし、幼い昭子にとってすぐには扱えないオルガンである。それでも二人は、最も使用頻度の ある居間に据え置くことを決めたのだった。 ある日曜日、午前の事である。静子にとっていつもの休みにない気がかりな事があった。 教員勤めをしていた彼女にとって、育児と家事を兼ね合わせる事の難しさから、日頃その大半を 祖母にゆだねていた。しかし、親子とはいえ心根の優しい彼女、身のこなしにぎこちなさを交え始 めた祖母への負担、気にせずにはおれず、休みになると出来る限り自分で家事をこなすよう心が けていた。 「昭子、もう終わったん。少し残ってるで」 御膳席の座布団から立ち上がろうとする昭子に、母静子は言う。 「うん、もうおなかいっぱい」 椀の残り飯を見「それくらい食べんと、お行儀悪いんやで。」静子は言う。 言われて昭子は咄嗟に反発顔をつくり、「お便所」と催ていることを示した。 幼い昭子、いつ何が起こってもおかしくない難しさのある顔をしかめる静子であった。 そんな面倒な昭子の世話を、日頃見てくれている祖母に、うっかりだったとはいえ、今日プレゼ ントのオルガンが届けられることを言い忘れていた。一抹の気まずさと楽しみな二つの気持ちを交 錯する気持ちを抱いている静子。 近づいては遠のいていく車の音。 表通りは杉谷家から少し離れたところにあって、静子が中庭で洗濯物を干しているその時の事 であった。
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