7.1950年
月日は流れ、父文太夫と母静子は、教職に追われ、昼間は留守。祖母に預けられた昭子、かわ ゆいばかりで気ままに育ち、生まれつきもあってか自立心の強い子として育つ。 音楽好きな両親。昭子もその血筋を引き継ぎ、ペダルに足が届くようになると、めちゃ弾きにの めり込んでゆく。 譜面上でのドレミ、鍵盤上でのその位置、それくらいは母親から学び、独自の探り弾きに耽る。 それがまた楽しくて仕方がない。しかしそれには限界があって、母、静子の帰りを待ち、せがむこ ともしばしばであった。 「さいた、さいた、チューリップの花が...」。 昭子は両手を上げたり、音楽に合わせて拍子を取ったり、広くない部屋の中を歩き回っては手を 叩いて喜ぶ。 教育者の静子、ましてやわが子の音楽的才能、あるかも知れない期待に胸膨らませ、のばせて やれるものなら伸ばしてやりたい。親心にしてひそかに思いを募らせるのだった。しかし自分はそ の筋の専門家ではない。また日々の忙しさもある。気に留めていたことから市内楽器店の令嬢が 、ピアノ教師をされていることを知り、その指導を受けさせることを決めた。 すでに昭子は7歳。夏休み、電話連絡で一応の下話しはしてあったが、時間に余裕のある日を 見定め、静子は昭子を連れ立ち服部楽器へと向かう。静子にとっても初対面の人。用意していた 菓子箱を携え、昼食時にさしかからないよう自宅出発は9時半ばであった。 雲ひとつ無い晴天に恵まれた日。これから灼熱の日差しになるであろうことを占うかのように庭 木に住み着くセミの大合唱。 「昭子、あんたが今はオルガンを好きだけで弾き楽しんでいるんよね、そのことはよくわかってる んだけど、これからレッスンを受け始めるとなれば、楽しいことばっかりではないんよ。辛いこと、 歯をくいしばって頑張らなくてはならんこと、色々あると思うんよね。でも、それを乗り越えものにし ていく事によって初めて、難しいいろんな曲も弾けるようになるもんなんよね。なにをするにしても 本物を掴み取るって事は困難がつきまとうものなんよ、そしてそれを乗り越え頑張る努力なしには 何事も成し遂げられないものなんよ。いい。」 「うん。」とだけ昭子は頭を縦に振り、緊張気味に静子に寄り添うかのように、歩みを進めるのだ った。 自宅から松江駅まで徒歩約10分。そこから電車に乗り、和歌山市駅でバスに乗り換え公園停 留所で降り、服部先生宅まで歩いて5分。待ち合わせ時間をこめ、ざっと約1時間の道のりであっ た。 静子はバスを降りると送られてきた手書きの地図と電話連絡による確認に立ち止まり、辺りを見 定める。目線で昭子に示し、二人はバスの進行方向へと歩みを進めた。 途中、低い生け垣越しに見える開け放たれた家の、そよ風になびく風鈴の音。静子は、見当をつ けていた辺りに来たのか、歩みを緩め家の表札を覗き込む。左右に一軒二軒三軒、四軒目に見 つけ、彼女は昭子を顧み言うのだった。 「ここ、着いたんよ」二人は立ち止まり、一呼吸置き、そして家構えを見据えた。 玄関を挟み込む板垣。板垣と本家の間は広くはとられていないが、庭木が植えられ奥行きのあ りそうな優雅な家。 途切れ、途切れに聞こえてくるピアノの音。 「昭子、きちっとご挨拶はできるんよね?これからずっとお世話にならんといけんのんやからね。」 二人は玄関引き戸、その前まで進み、静子が大きめの声で呼びかけた。 [su_button url="https://www.matsunaga-piano.co.jp/?page_id=583" style="bubbles" background="#fefbdf" color="#000000" size="5" center="yes" text_shadow="0px 0px 0px #000000"]【表現芸術家ピアニストの生き様】トップへ戻る[/su_button]
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