| “美音の架け橋”試し読み |
| 2011年 4月 23日(土曜日) 15:51 |
プロローグ
めざすはスタインウェイジャパン・セレクションセンター。集合時刻は十時。羽田空港到着予定時刻は九時三十分。すみやかにモノレールからタクシーに乗り継いで行くことができれば、間に合わせようとして無理な時間帯でもなさそうだった。 一つ気がかりに思えることは、飛行機の場合、天候や、空港内での混み具合など、時に到着時間に遅れが出ることもある。万が一遅刻することにでもなれば、スタインウェイジャパンの人達に、「技術認定資格試験への取り組みの姿勢に真剣さが欠ける」そう受け止められるかもしれないことだった。 これまでにも、私はいろんなジャンルのピアノ音楽表現をするに当たって、スタインウェイピアノという楽器が秘めるその表現力の素晴らしさに魅せられ、取り扱いをしてきた。 しかし過去には、スタインウェイピアノ日本総代理店M社から、競争業者として排除され、長い間アウトサイダーとしての道程を歩んできた事情がある。それが今、スタインウェイピアノ山口県正規特約店としてメーカーサイドの仲間入りをし、結果はわからないにしても、その技術者として認められるための試験に臨もうとしている。私も一匹狼ではいられなくなったことを改めて自覚させられる思いであった。 集合時間を考えると前泊すべきかとも思ったが、結局私は当日朝一番の飛行機に乗り込むことにした。二週間という長いホテル住まいと体調を考えあわせてみると、出立を少しでも遅らせたい、そんな気持ちがおきたからであった。 飛行機はANA625便、宇部空港出発八時であった。 私はいつものように後方座席に席を取る。狭い機内の圧迫感から少しでも開放されたい、そのためにはできるだけ前方遠くまで空間が広がっていることが必要だったのである。 いつの間にか私も五十代も半ば、寄る年波に、ふと身体に衰えを覚える反面、五感にある種の冴えがあって、こういった行動をとるようになったのもその一つの表れと言えるだろうか。 前方通路から客室乗務員が膝掛けを持ち、左右に気配りをしながら近づいてくる。私は四枚欲しいところ、気兼ねしながら三枚を求めてみた。 彼女は手持ち二枚を差し出し、もう一枚を頭上のボックスから取り出してくれた。 私はそのうち二枚を背中の後ろに丸め込み、もう一枚を膝の上に掛ける。窮屈だった姿勢が楽になり、離陸の合図が鳴って客室乗務員も着席し、飛行機は瞬く間にスピードを上げ、轟音と共に体は後ろに押しつけられ、右手窓越し瀬戸内海に浮かぶ小船がスーッと後ずさりしていった。機体は浮き、空に舞い上がる角度から海は見る見るうちに空の青へと溶けこんでゆくのだった。 揺れるせいか空気圧による耳の痛みのせいか目が覚め、外を眺めると東京湾上空のようであった。機内アナウンスである。 「本日はANA625便をご利用いただき誠にありがとうございます。皆様方のご協力により定刻の九時三十分に到着致します・・・・・」 私はひとまず安堵した。が、到着後は慣れない空港内である。時間の無駄遣いが許されない状況から、モノレール乗り場まで、順路を頭の中で反芻してみた。 受託手荷物にした工具バックを引き取る。出口フロアーを右に折れ、一気にエスカレーターにて地下一階。そこで切符を買い、改札口を通り、地下二階モノレール乗り場、と記憶を辿ってみたが、エスカレーターを降り、切符売り場がどちらの方角になるのか定かでないことに気づかされた。気を付けなければならないところを改めて確認できた思いであった。 カチッ、カチッ。飛行機は停止し、シートベルトを外す音と共に乗客がざわめきたつ。私もシートベルトは外したが、通路に並ぶ人が動き始めるまでは・・・・と、そのまま着席していることにした。急いでも急がなくても、工具バッグを受け取るまでは同じことだからである。 頭上のボックスから荷物を取り出す人、上着の袖に手をとおす人、立ち上がり片手で髪の毛を撫で整える女性。私は傍観していた。列は動き出し、私も流れに混じり、出口に向かった。 爽やか表現の客室乗務員と目が合って、「お疲れ様でした。いってらっしゃいませ」 深く頭を下げるその行き届いた社員教育に、私は気持ちよさを感じさせられるのだった。 機外通路、パッセンジャーボーディングブリッジに一歩を踏み入れると、早速手持ちバッグのポケットから携帯電話を取り出す。携帯電話を持つようになり、いつのまにか腕時計をしなくなっていたが、スイッチを入れると九時二十六分であった。『よし、これならいける』心配していた到着予定時刻よりも早く着いたことに、私はツキがある、そんな気がしてくるのだった。 「スタインウェイジャパンまで」「スタインウェイジャパン・・・?」首をかしげる運転手。「とにかく大井税関に向け、行ってください」あせる気持ちを抑え、私は言った。 発車すぐ右折禁止。矢印信号に変わり、環状七号線をスタインウェイジャパンに向け、タクシーは走り出した。 道路沿いに民家はなく、商工業ビル群の林立である。そこには東京湾に隣接する臨海地域らしい光景があった。私は東海四丁目交差点を目指し、「あそこの信号を左に行ってください」 運転手は私の方に首を振り、「税関の方でなかったの?」と聞き返した。「ええ、その手前に山種倉庫というのがあって、その中にあるんです」「あ、山種ね、そういえばそんなのあったなー」 左折直後前方には、赤い菱形三つ星マークの三菱倉庫、上組、明正、鴻池倉庫と続き、ついに山種倉庫、スタインウェイジャパン・セレクションセンター門前に到着。 この一帯はもともと空港と港が近いことから、飛行・船舶の集荷地帯として栄えた所である。スタインウェイジャパン・セレクションセンターはそこにある貸倉庫の一画に設けられたピアノ整備兼展示場であるが、場所と外観は高級ブランド商品を扱う展示場のイメージとは全くかけ離れていた。 倉庫の周りの黒っぽい鉄柵、その内側の入り口は勝手口のようで、さらにその入り口の辺りには道路からは見えないよう、あえて生垣が植えられている。 あらゆるものが高額につく東京。スタインウェイ本社が、小売りではなく特約店への卸売り選定場を想定し、その目的と利便性・コストを考え、場所や建物を決めたことを推察すれば、頷けないではなかった。 ビルの西側、道路を隔てる鉄柵、その南側の端、そこには車と人との兼用出入り口があった。 私がタクシーで乗り付けた気配に気づいたのか、トミー・アレン氏と、おそらく試験官であろうエドウィン・ヤング氏がこちらを振り向く。アレン氏はグレーのスーツに身を包み、彼より一回り大きいヤング氏は、黒のコートを羽織り右手に厚めのバッグを持っている。二人は駐車場に車を入れ、出てきて間もないところのようであった。私は慌ててタクシーから降り立つ。磊落な性格のアレン氏が片手を挙げ、 「ヤー、オハヨウ」と愛想良く言った。 「おはようございます」私も片手を挙げ挨拶し、一安心するのだった。 ビルの一角、エレベーター三階出入り口、その正面セレクションセンター出入り口ドアには、ビックリする程大きいスタインウェイマークが付けられている。下地は黒で、装飾の工夫をうかがわせる小波模様の凹凸。その表面に貼り付けられたギリシャ神話のアポロ神が持つ、あのハープを象った金色のスタインウェイマーク。ピアノについている百数十倍の大きさであった。 私はドアの取っ手にそっと手をかけ、中を覗き見る。他の受験者か誰かが居るに違いない、そう予測しながら開けたが、中にはまったく人の気配はなく、遮音設備の施された部屋特有の静寂があった。 室内は通路とは打って変わって明るく、入ってすぐ右手にはスタインウェイグッズなど、小物の入ったショーケースが置かれ、その隣にはハイカラなコートフックが立てられている。左手には、高さ膝頭程度のテーブルをはさむアイボリー色の来客用のソファーが置かれ、黒色艶出し仕上げのピアノと好ましいコントラストをなしていた。 純白ではないが壁面はソファーより白めで、そこにはピアノ音楽界を彩ってきたピアニストの肖像写真が掛けられ、淡白な壁に表情をもたらしている。どの写真もピアニストとして、それぞれの栄光を掴んだ者だけが持つあの特有の輝きが放たれているようだった。 そういった世界的ピアニストが愛用してきたスタインウェインピアノ。こうして二十数台も陳列されているのを目の当たりにすると、さすがに感慨深い思いがこみ上げてくるのだった。スタインウェイピアノに惚れ込んでいるせいなのだろうか。 私は急ぎ足に部屋の奥へと歩みを進めた。すると、スタインウェイジャパン設立当初、事務室に使われていた部屋から話し声がする。その聞き覚えのある声は「Nピアノ」の子息、嶋田泰之氏であった。背丈のある彼は、開いていたドア越しに私が見えたらしく、 「おはようございます」私も同じ言葉を返し、様子を窺いながらそっと中へ入った。と、そのとき、 「松永社長、おはようございます。本当にまじめに来るのか心配していましたよ」その大きな声に思わず振り向くと、スタインウェイジャパン顧問、横田氏であった。彼はそのごつい顔に満面の笑みを浮かべ、「冗談、冗談ですよ、社長。アハハハハ」と明るく言った。 「とにかくちょっと、ま、ここに掛けて、ここに。お茶は何にしますか」と・・・・。気遣いはありがたいにしても、集合時間間際に着いた私。いつ始まってもおかしくないという思いが先走り、「しかーし、時間が…」 「大丈夫、大丈夫ですよ。ヤングはまだ上の事務所に居るんだから」そう言われ、「では」と私はコーヒーを求めた。 彼は二杯のコーヒーを用意すると真顔になり、小声に言う。「社長、今回の試験の件で『ハンマー交換に二週間もかけるなんて、そんなの仕事じゃない』そんなこと言ったんでしょ?こちらの方でそのことが話題になってたんですよ。そんないいかげんな気持ちで受けられては困るって」すぐに私は言い返した。 「だって、自分でもしょっちゅうやってて、一週間でこなせることを二週間と言われれば、それはいくらなんでも・・・・」 横田氏は私の言葉をたしなめるように言い返した。「社長、わかってますよ。僕は社長の技術力についてはよく理解しているつもりです。しかし社長一人が受けてるんじゃないんだからさ、そこんところを汲み取ってあげないとさ」 何か、きかん坊の愛すべき弟を諭している、そんな口調であった。その彼はスタインウェイジャパンの中でも一風変わった個性の持ち主で、講道館柔道六段の誇りを持ち、先代ヤマハ川上源一社長に対し、「自分のような者を重宝してくれた」と武道家らしい恩義を抱き、その流れを引く鈴木達也スタインウェイジャパン社長の要請に応じ、顧問契約を結んだらしくあった。松永ピアノへの応援についても、第二の職場を与えてくれた鈴木社長への恩義と忠義を示し、「言っときますけど、僕の意志によって行くんじゃないですよ。鈴木社長の命によって行くんだから、そこんところをよく踏まえといてくださいよ」とあえて断りを入れてくる程であった。 私も小中学生時代、柔道に熱中していたが、しかし小柄であったため、『日本一にはなれない、業師にならなれる。柔道家としての人生を歩んでみては』・・・・そう勧められ、その気になっていたこともあって、互いの武道家精神に通じ合うところがあったせいか、横田氏とは何かと馬の合うところがあった。 会話が途切れ、コーヒーを口にしているところへ、入り口の方から足音が近づいてくる。現れた顔は、若手技術者として有望視されている山縣氏であった。彼は来るなり早速、指差し、 「皆さん、向こうにピアノが用意してあります。これから始めるそうですから、あちらの部屋に移動してください」 嶋田氏とは挨拶のみ、もう一人の受験者らしき人物とは会話もなく、私達は指示に従い移動することになった。すると、横田氏が何を思ったのか真剣な顔付きで、「社長、これから僕もちょくちょく顔を出しますから」そう言葉を残し、部屋を後にするのだった。 その大きな一室の中には、入荷そのままの段ボール梱包、荷ほどきされたばかりの裸ピアノ、カバーがけされたもの等々、たくさんのスタインウェイピアノが雑然と置かれている。私は工具と少量の着替えを積んだキャリーカートを引きながらピアノに埋もれたその通路を抜け、試験が行われる部屋へと入った。 右手壁に向け一台、左手壁に向けて二台、コンサート用スタインウェイピアノが悠然と据えられている。嶋田氏ともう一人の御人は、昨日から上京していたらしく、すでにこの部屋に工具を置き、準備を整えているようであった。 彼らの後を追い入った私は、ヤング氏が来るまでにと、早速キャリーカーのゴムロープを外し、工具バッグから前掛けと腕貫きを取り出す。 目障りにならないようにと、ピアノの側の壁際にキャリーカーを置く。ふとピアノの足に目が行き、見れば、ダブルキャスター(ピアノの足のコロ)は全く無傷の艶を保ち、まさに新品のピアノであることを悟らされるのであった。十中八九、試験に使用されるピアノであるに違いない。私にはそう予測された。 一台千六百万円もするピアノ。このような試験に使われるなど、普通にピアノを知るものにとって、驚きのはずであろう。 地方のホールでは、まるで腫れ物にさわるような扱いをされているスタインウェイピアノである。さすがメーカーにしてはじめてできることと痛感させられる思いであった。 私はヤング氏の現れるのを待ち、椅子に腰を下ろした。自然に腕組みをし訳もなく瞼を閉じる。すると嶋田泰之氏の父、一隆氏とのやりとりが今さらのように思い出されてくるのだった。
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